ダンスで学んだ「努力は自分へのプラス」を胸にハノイに美容室出店
- 2021/08/10
冒頭「僕、これといったエピソードがないんで面白い記事になるかどうか心配なんですよ」とZOOMの向こうで照れ笑いする阪下。いやまさに「人に歴史あり」、魅力的な半生をうかがうことができた。
阪下の美容室「hair salon te to te.」は2014年12月ハノイにオープンした。7年近くベトナム・ハノイに暮らす彼と私は面識がなかった。もちろん店の名前は知っていた。ただ筆者のようなオジサンは路上床屋2万ドン(約100円)の散髪でもいとわない。だから日系美容室には縁遠かったというのがその理由だ。
阪下は1982年大阪府羽曳野市に生まれた。「わが家は祖父母の代から理髪店を営んでいました。もちろん父も母も現役の理容師です」いわば理容師としては3代目だ。
高校を卒業し、勉学は嫌いだった阪下は大学ではなく専門学校に進む。「何もかんがえもなく、ただ当たり前のように父と母が共に通った理美容専門学校に入学しました」葛藤はなかった?と阪下に尋ねると「そこしか進む道がなかったんです」という。
卒業し、国家試験を受験して合格した。当時130店舗を展開する大手美容サロンチェーンに入社する。入社したのは何年?「2006年、25歳の年ですね」と阪下はそこで少し言い淀んだ。「入社時期を尋ねられたら明かさなければならないんですけど、実は卒業後フリーターしながら、ダンスをやっていまして」と再び照れる阪下。
どんなダンスを?「ブレイクダンスです」ブレイキン、あるいはブレイクダンス。ヒップホップ文化の4大要素の一つに数えられている。1970年代にニューヨークのストリートで生まれ、1980年代にはメディアで取り上げられて世界に広く知られるようになり、現在は世界大会まで開催されるにいたった。ステップを踏むのみならず、背中や頭でスピンまでしてしまう、あの躍動的なダンスだ。
「最初は女の子にもてたくてはじめたダンスですが、学校を卒業してもやめられないほど夢中でした。フリーターで生計をたてて、ダンスを続けました。日本の大会のみならず海外の大会にも出場しました」
練習し、ストレッチをし、入浴し、痛めた関節や筋肉をアイシングする毎日。それでも肩を痛め、脱臼癖がついてしまった。膝に水もたまった。ダンサーとしてブレイクダンスを続けることができなくなってしまった。
「日本である大会があり、その大会を期にダンスはすっぱり辞めました。いずれ美容師の道を進むということは心に決めていましたし」
ダンスで学んだこと。それは「努力の積み重ねは必ず自分のプラスになる」という確信だった。そして彼はその確信をもとに25歳にして美容師としての仕事をはじめた。
「美容室の仕事はきつかったですよ。当時の美容師業は上下関係が厳しく、一万回ぐらい辞めようと思いました」ただ、一方で再びダンスは踊らないと心に決めていた。
当初は掃除や雑用が多かったが、シャンプーを任せてもらい、お客様と接する機会も増えた。お客様に上手だと褒めてもらったり、「ありがとう」と感謝されるようになって、だんだん仕事も楽しくなった。「これが血筋なんですかね」と阪下は笑う。
3年で技術も他の社員に追いついたと感じた阪下はその後店長も勤めた。店舗では午前10時に店を開き、午後8時を最終受付とする毎日。営業終了後スタッフに技術を教えるため、お店を出るのはいつも午後11時過ぎ。休暇も月に6日取得できるが、そのうち2日はスタッフの研修や勉強に時間をさいた。「美容室においてもっとも大切なのはスタッフ教育ですから」
2009年。ベトナム旅行から戻ったばかりのある女性から「ハノイには日系の美容サロンが1カ所しかなく、予約もとれず、駐在員女性が髪をカットするのにメチャ困っているらしい」という話をきいた。「もし自分の店を持つなら海外に出店しよう」と希望していた阪下の目標が定まった。「ハノイに自分の美容サロンをオープンする」と。
ベトナムについて調べたり、自らの店を持つならとマネジメントを学ぶために美容サロンチェーンの会社でマネージャーにもなった。ベトナム料理店でバイトをするほどのベトナム好きで、ハノイに自分の店を持ったらどうかと勧めてくれた女性と結婚をし子供ももうけた。
満を持して家族帯同でベトナムに移り住み、美容サロンをオープンしたのが2014年12月。ベトナムの第一印象はいかがでした?と尋ねると「当時は会社員を辞めて月給もなく、俺大丈夫か?と思ってがむしゃらに働いていたので、ベトナムの印象どころかではなかったんです。丸三年が経ち経営も安定して、2人目の子どもの出産で妻が日本に戻り、一人暮らしをしてはじめて、あ、このハノイは自分に合っているなとはじめて感じました」
ハノイで気に入っているのは?との問いに「ベトナム人の人情味があるところですね。大阪人の気質にも似ていて、下町っぽいところかな」という阪下。逆に困っていることは?と問えば「ベトナム人スタッフを教育してもすぐ辞めちゃう、他の店に移っちゃうことですかね、一通り学んだら、あとはローカルサロンで働けばいいやと思っているのかも」
昨年12月、コロナ禍にあって2号店を出店した。「2020年4月にハノイでロックダウンがあったでしょう。その時に将来構想を練ったんです。その一つが2号店の出店でした。もう一つは姉妹ブランドを新たにつくりローカル向け店舗をオープンすることなんです。なんにしても美容室経営はスタッフの教育が大事。人を育て、人が育つ仕組みをつくりたい」と阪下は語る。
「ベトナムに来て自分に禁じていたダンスもはじめたんですよ。自分が踊るというより子どもたちにダンスを教えるという形でね。最初は断っていたんですが、習い事が少ないハノイでぜひにとお客様に勧められて」当地で毎年行われる「日本まつり」や「バザー」で子どもたちのダンスを披露しているそうだ。
努力は必ず自分のプラスになる、その「熱量」を誰かに伝えることに阪下は喜びを感じているに違いない。
文=新妻東一
阪下 正樹(サカシタ マサキ)
hair salon tetote.
プロフィール
1982年生まれ。AB型 大阪出身。日本で大型サロンの店長やマネージャーを経て2014年に来越。ハノイ中心部ハイバーチュンエリアにhair salon tetote.をオープンする。2020年12月にハノイ2店舗目となるtetote.+meをメトロポリス1Fにオープン。現在はtetote.ハイバーチュン店の店長としてサロンワークをしながら、その他外部講師としてハノイ,ホーチミンでセミナーやワークショップなどをもしている。2児の父で妻、子供と共にハノイで暮らす。
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