元プロサッカー選手にしてスポーツスクール経営、夢はサッカーチームのオーナー
- 2021/05/18
今回のインタビュー相手は元プロサッカー選手であり、現在はハノイで約500名もの会員にスポーツを通じて「日本」を教育するSakura Sports Academyの代表、井上寛太だ。井上は1991年生まれ。今年30歳になったばかりだ。
京都府宇治市出身。3歳から父親とともにサッカーに親しみ、小中学でもサッカーに打ち込み、12歳から世代別日本代表としてイタリアやブラジルにも遠征した。高校生までサンガFCのアカデミーでプレー、立命館大学に進学しながらもプロのサッカー選手となる夢を捨てきれず大学を中退、AC長野パルセイロに入団した井上。
ただヨーロッパでプレーをしたいとの思いから井上はさらに東欧スロベニアのチームへのトライアウトに挑戦する。代理人に金を持ち逃げされるという難にあいながらも、地元のチームに片っぱしから電話して自分を売り込み、代理人を通さず自力で入団テストを受け合格した。そのときのことを井上は「餞別ももらい、送別会も盛大にやってもらって、代理人にだまされたからといって日本に帰るに帰れなかっただけですよ」と苦笑する。
井上はスロベニアを手始めに欧州の5カ国のチームでプレーした。しかし彼は自らの能力の限界も感じており、海外にトライするのも年齢的に遅かった。スコットランドのチャンピオンチーム・セルティックのテストで不合格となったことを機に、Jリーグのチームからのオファーも断り、潔くサッカー選手引退を決意した。26歳の年だった。
井上が欧州での生活で気がついたことがあった。「ある東欧のレストランではこちらがまだ食べているのに店がクローズの時間だからと勝手に皿をさげはじめたり、スーバーでは列にならんで大人しく待つなんてこともしないんです。日本の常識がまったく通用しませんでした」と述懐する。日本のような礼儀や道徳心、時間やルールを守るといったことは日本で当たり前でも、世界では全く「当たり前」ではなかった。「挨拶、片付け、諦めない心、ルールを守る、感謝の気持ちを持つなど、日本の教育で学ぶ礼儀や道徳心は世界に誇れる『日本ブランド』である事に気がついたんです」
そんな井上に持ちかけられたのが「ベトナムでスポーツビジネスを展開したい」というダナンに支社をもつ日系企業からの誘いだった。引退から3週間足らずで、ハノイとホーチミン市の視察に訪れた。2017年のことだ。ベトナムではサッカーが盛んで、高度経済成長の真っ只中。スクールビジネス発展の可能性もあると期待して、早速共同でサッカースクールの経営を開始した。
「スポーツを通じて日本の教育を世界に届けること」をコンセプトにしてはじめたスクール経営。一年半で200人近くの生徒を集め、2019年には自らベトナム法人を立ち上げた。しかし、さまざまなトラブルにも見舞われた。「雇用したスタッフにお金を持って飛ばれたり、発注ミスをしてそのまま退職されてしまったり、取引先に逃げられもしました。理不尽なことが多かったんです。そのたびに当時は愚痴ったりキレまくっていました」
ただ井上はサッカー選手時代に経験していたことがあった。「サッカーはいいわけがきかないんです。大勢の観衆を前にしての90分間の勝負です。負けてもいいわけはできない世界。いいわけするのはダサいし、かっこわるい。スタッフにお金を持ち逃げされても、それは自分のマネジメントの足りなさが原因だと思い直しました。経営もサッカーと同じです」
「スクール設立当初、日本の文化、日本のやり方、日本の価値観をベトナム人スタッフに教育しようとしました。今は自分自身の考え方から日本の常識を取っ払い、まずはベトナムに寄り添った考え方に変えました」
そして恥を恐れず他人にきく、経営をする国の法律、税金、雇用形態、商慣習をよく学ぶことが経営者には大切だと井上は力説する。
スクールの生徒の子どもたちに接するにも井上は頭ごなしに叱るやり方をしない。「服を片付けず、ただ放り投げて帰ろうとする子には、まずその子を呼び止め、今なにをしたか、なぜそうしたのか、どうすべきだったかを聞き出し、自分の言葉で答えさせます」ただ脅すように叱っても子どもは怖いからやらなくなるだけで、「片付け」の大切さには気がつかずに終わってしまうと井上。
サッカースクールのうち7割がベトナムの子どもたち、残り3割が在留邦人の子弟だという。ベトナムの子どもたちと日本人との違いはと井上に尋ねると「ベトナム人の良さだと思いますが、やはりプレイのなかでも自己主張は強いですね、俺にパス出せよとアピールしてくる」
日本代表をワールドカップに出場させた監督トルシエがその著書で「車が来ないことがわかっていても、多くの日本人は赤信号では決して横断しようとはしない。しかし信号を守るのは身の安全を確保するためであって、規則を守ること自体が目的ではないはずだ」と述べている。井上にこのトルシェの言葉に対してどう思うかと尋ねると「全く同感です」との答えがかえってきた。「それは日本人の足りないところですね」
「日本のサッカー選手は監督の決めた戦術をいわれた通りに守ります。しかし欧州で活躍する選手はそうでない。自分を高く売り込むためにはどうしたらよいかと常に考えてプレイする。監督がフォワードに今は守備をやれ、という。そういわれてもそのフォワードは上手にサボり、自分の持ち味が出せるタイミングを探る。そして試合は1秒1秒で変化します。相手もいる。選手一人一人の状況判断と行動が試合の勝ち負けを決定する。監督の戦術を守ることだけがサッカーではありません」
スクールでのチームはベトナム人、日本人の子どもたちをミックスし、合同のチームとして、お互いの良いところ、悪いところを学び合える編成にしているのだという。
「将来の夢は?」と問うと井上はすかさずこう答えた。「Vリーグのチームを所有することですね」と。
欧州のクラブは、5万人の都市であってもクラブが存在し、その試合に2万人も集まることも珍しくない。サッカーチームが街に根付いているのだそうだ。日本でも浦和レッズ等のクラブは地元の学校への慰問やサッカー指導、地元企業へのあいさつは日々欠かさないという。
「ベトナムのチームの場合は金持ちの道楽でクラブが運営されていて、ひとりで何チームも所有し、景気が悪くなったらクラブを売り飛ばすようなこともある。全く街に根付いていないんです。ハノイの人口は800万人なのにハノイFCの試合には2千人しか観客が集まらないなんてもったいない」
街に根付き、サポーターに慕われ、試合には何万人もの観客が押し寄せるようなチームをもちたい、そのためにはスクールの全国展開も考えていると語る井上。
2021年5月現在、コロナ感染急増を受けてスクールは休業中だが、スクールのみならず貿易やレストランなど他業種への展開にも意欲的な井上はコロナにも負けない経営をめざしている。
文=新妻東一
井上寛太
経歴
京都府出身の30歳。京都サンガF.C.のアカデミーで育ち、幼少期から世代別日本代表のキャプテンを務める。立命館大学を経て、Jリーグでプロデビュー。その後ヨーロッパ5ヵ国を渡り歩き、プロサッカー選手として活躍。引退後は、ベトナムで起業し教育、貿易、飲食などの事業を展開。ベトナムの発展、また日越の架け橋となり、様々な活動を行っている。また日系企業とタイアップし、貧困地域などへの社会貢献活動も積極的に行っており、数々のメディアにも取り上げられている。
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