ベトナム最北端の省・ハザンは少数民族とソバやサクラの花が魅力
- 2021/09/06
コロナ禍でおでかけもできない、海外旅行など夢のまた夢!そうぼやいているあなたに、ベトナム在住17年のツアー会社代表がウェブ誌上で「活字の旅」をお届けいたします。第2回目は「ハザン省の旅」。えっ、ハザン省?聞いたことがない?そうです、日本ではまだほとんど知られていない観光地なんです。だからこそ、秘境の旅気分が味わえる、ともいえます。
Googleマップを開いてみましょう。窓に「Ha Giang」と入力して検索してください。ベトナム最北端の省ハザン、省都のハザン市まではハノイから約300km、車で6〜7時間の距離にあります。アクセスに時間がかかるのが難点。でもハノイから夜行バスも運行していますので、若い方は時間とお金の節約して利用するのも手です。大人ひとり片道200,000VND(約1000円)程度からあります。
ハザン省の北側は中国・雲南省に接しています。実はハザン省はベトナム最北端の省。国境は山の中にあります。省全体が平地にはありません。ハザン省の人口の多くは「少数民族」と呼ばれているモン、タイー、ザオ、ヌン、ロロ族が「多数」を占め、ベトナムの平地に多く住むベト(キン)族は逆に「少数」となる地域です。
ハザン省観光の第一の魅力は、さまざまな少数民族の人々と出遭うことができる!という点にあります。そこでハザン省の代表的な少数民族をご紹介したいと思います。
ザオ族の女性は酒豪?!
はじめてハザン省を仕事で訪れたとき、私の仕事の相手は省人民委員会の某局長は40がらみのザオ族の女性でした。招待された夕食の席で彼女は「明日の仕事はテーブルにあるお酒をすべて飲み干したら許可します」とにこやか。酒はハザン省特産のトウモロコシから造られた蒸溜酒。ビールの小瓶にして10本近く置いてあります。アルコール度数にして25度は下らないはず。これを小さなショットグラスで接待者と客人が乾杯して一気に飲み干すのです。これを何度でも繰り返します。
ザオ族の女性局長はトウモロコシのお酒をまるで水を飲むように一気飲みします。私も明日の仕事がかかっていますので、彼女と同量の酒を飲まざるを得ません。私ももういい加減飲めないぞというところで、そうと察したのか、彼女は「今日はこれで終わりにしましょう、明日は午前6時にお迎えにあがります」とまるでしらふのようにお開きのごあいさつ。私は頭の中がぐるぐる回っていましたが、なんとかホテルにたどり着き、ベッドに横になりました。
するとほどなくしてベッドサイドの電話が鳴りました。時間を見ると午後11時。こんな夜分に誰だろうと受話器を取ると、先程の女性局長です。「これから二人でお酒を飲み直しませんか?」とのお誘いでした。これには驚きましたが、明日朝早いのでもう休みます、と丁重にお断りしました。
あとでハザン省のベト(キン)族の方に伺ったところ、狭義のベトナム人、すなわちベト族の女性は酒をたしなむ人は少ないが、ザオ族は男性も女性も酒豪が多いとのこと、いやその底なしな酒の強さには恐れ入りました。
ザオ族の女性たちは普段はベトナム人と同じような洋服を着用していますが、観光地や市場などに出かける際には民族衣装を纏っています。同じザオ族でも衣装に違いがありそうですが、私が出会ったハザン省のザオ族の人たちは黒や紺地に鮮やかな赤の糸飾りのついた衣装で目を引きます。(写真はモン族の少女)
タイー族の鮮やかな五色おこわ
タイー族もハザン省に多く居住する少数民族の一つです。タイー族の女性の伝統的な衣装は黒や紺の綿布のシンプルないでたちが特徴です。基本的に他の少数民族の衣装のような刺しゅうは施しません。歌や楽器に優れた民族でもあると言われて一ます。
タイー族の人々は元々もち米を主食としていました。そのタイー族に特有なのが、五色に彩を施したもち米を炊いて作るおこわ、「ソイ・グーサック(五色おこわ)」です。青、赤、黄、紫、白の五色に着彩したもち米を蒸して作ります。色は化学薬品に頼らず、ウコンやマジェンタ・プラントといった自然の草の葉や根の抽出液にワラの灰やレモン汁を加えて色を作り出します。色の抽出液にもち米を5時間程度浸したのちにおこわを炊きます。
タイー族の人たちは旧正月などのお祝いの際にこの五色おこわを用います。色にはそれぞれ意味があり、赤色は火を表し熱き血潮を、黄色はイネを表し五穀豊穣を、紫色は豊かな大地を、白色は貞節な愛情を、青色はタイー族の伝統的な衣装の色を表しています。
おこわは片手で小さく握り、塩の効いたピーナッツを粉状にしたものにつけて食べます。彩りの鮮やかさに反してお味の方は普通のおこわと変わりがありません。ハザン省を訪れたら、ぜひ五色おこわをご賞味ください。
「アヘン」で財をなしたモン族の王の城
モン族は中国では「苗族」と呼ばれ、中国南部からベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーにまで広がりをもつ民族です。ラオスのモン族は米国と結んでベトナムの解放勢力とたたかい、ベトナム戦争後に難民として渡り、モン族系米国人は30万人にもなります。2021年東京オリンピックで体操女子金メダルに輝いたスニーサ・リーはモン族系米国人だとして話題となりました。
ハザン省のモン族はかつてアヘンを生業としていました。モン族の王ヴォン・チン・ドックはハザン省ドンヴァンに勢力をもち、財をなして城まで築きました。フランス植民地時代には彼の生産するアヘンがインドシナ全体の扱い量の三分の一を占めていたとまでいわれております。黒旗軍、フランス、日本がモン族の征服を試みましたが撃退し、その自治を守りました。
ドックの息子、ヴオン・チー・シンはホー・チ・ミンの革命路線に共鳴し、1945年ドンヴァン県の行政委員会首席となり、1946年の全土の抗仏蜂起の呼びかけに応えて、220万ピアストルと金7kgもの資金を支援しました。チー・シンは1960年にはハザン省選出の国会議員にもなります。
「モン座族の王」ヴォン・チン・ドックの建てた城は今も残っており、ハザン省の観光名所として公開され、多くの観光客が訪れています。建物は中国から建築家を招いて建てられた特異な建築物です。モン族の王の末裔の女性がガイド役をつとめて、観光客にモン族の王の知られざる歴史を語ってくれます。
ベトナム最北端の街ルンクーに日本人が開業したカフェ「クックバック」
ベトナム最北端を示す国旗の塔、フラッグタワーがそびえるルンクー村。そこにはある日本人が開業したカフェ「クックバック」(「極北」の意味)があります。オーナーの小倉靖さんは1990年代なかばからベトナムに通いはじめ、2002年にルンクー村で美しい民族衣装に身を包むロロ族の人々にであいました。小倉さんは彼らの美しい文化を残しつつ、村の振興にも役立てようとカフェの経営を思いついたのです。2014年には会社を早期退職し、カフェを村人たちと一緒につくりあげたのが2015年。テレビ番組「こんなところに日本人」でも小倉さんとこのカフェが紹介されました。
小倉さんの案内で私もカフェを訪れたことがあります。とても雰囲気のよいカフェです。ロロ族の女性たちも色鮮やかな民族衣装を身にまとってカフェをサービスしてくれます。こじんまりした村ですが、近くにはホームステイのできるおしゃれな民宿もあり、時間があれば長期滞在して村にゆっくり住み、周辺を散策することもできます。辺境にありながら、日本人にとってはなぜか懐かしい場所に思えるルンクー村。ここへたどりつくためにはハノイから陸路で二日を要しますが、それだけに旅情もまた格別だといえるでしょう。
秋はソバの花、春は桃の花が咲き乱れる桃源郷
ハザン省は秋から冬、春にかけて花が見事な時期があり、花好きなベトナム人で賑わいます。
10月から12月にかけてソバの薄いピンク色の小さな花が山肌一面に咲いている景色を楽しむことができます。京都大学名誉教授・大西近江氏によれば、栽培ソバの原産地は中国西南部の三江地域、すなわち四川省、雲南省、東チベットの境界付近だと結論されています。その中国西南部に接しているベトナム・ハザン省はソバの生育にも適しているのでしょう。
ソバの花を楽しむだけでなく、ソバを使ったパンや麺なども食べることができます。最近ではソバの実を使って醸造したご当地ビールなどもあり、ハザン省はソバによる町おこしを計画しているようです。毎年のように「ソバの花フェスティバル」も行われています。
1月にはクアンバ、イエンミン、ドンバン、メオバック地域の村々にあるモモやスモモの濃い桃色の花が咲き乱れます。まさに桃源郷とはこのことかと思うほどの絶景を目にすることができます。「岩石高原」と呼ばれる岩でできた山々を背景にしたモモの花はフォトジェニックであるため、女性たちに人気のある観光地になります。
ハザン省はまた棚田の美しさでも有名で、5、6月は田植えに備えて棚田に水を張る時期であり、棚田の水面に映る空や山々の緑をねらってカメラマンが多くかけつける時期でもあります。棚田に稲穂が実る時期は、黄金色に染まった山肌を眺めることができます。
長い休みがとれるなら一週間ほどかけて、まだ日本人の多くは訪れたことの少ないハザン省へ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。ベトナムの都会では味わうことのできない旅を楽しむことができるでしょう。
文=新妻東一
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